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2013-03

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定期ワークショップレポート(3月開催) - 2013.03.25 Mon

教文コミュニティダンス部のミーシャ(宮脇誠)です。

3月の定期ワークショップは、
「コミュニケーション」をテーマにやりました。

新しい人が結構来てくれましたので、
まずは隣の人の足の裏をもみながら自己紹介となりました。

次にストレッチ。
そして、ペアになって身体ほぐしを交互にしてから
「ミラーリング」へ。

向かい合って、相手の動きを真似していく、というものです。

先ずは、近くにいる人とのミラーリング。

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そして、相手を変えていったり、
遠ざかったり近寄ったり、

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まるで大きな鏡が中心にあるかのように、
他のペアとも交わりながらミラーリング。

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また、真ん中に6人を残し、
人が出たり入ったり構成メンバーを変えつつ前進。

自分のパートナーの真似をしながらも、
徐々に他の人の真似もして群舞になったり。

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想い想いの感じ方で部屋中を大きく使って。



最後には一人の動きを皆が真似て行きました。

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何回か真似する人を変えたあと、
最後には今日来ていた男の子の真似をみんなでしながら終演を迎えました。



★ファシリテーションの感想&改善点


今日は新しい人が結構いましたので、
もう少しところどころで感想や意見を聞き、
ムーブメントにメリハリを付けて行ったら良かったかな、と思いました。
途中少し間延びした感じもあり。

また、「6人が真ん中に残る」という指示の時、
もっと明確な言い方をしたほうが、
新しい人には不安に成らなかったのでは無いかなと感じました。
コミュニティダンス部に慣れている人が多い時よりも、
もっと丁寧に誘導したほうが良かったのではないかと・・。


さらに、
今回は参加者のみなさんが、
いつもよりちょっと身体が疲れているという感じがあったよう。
決まった時間の中で、如何に有効に身体を楽に使って行くか、と云う事も考えられたら良いですね。



ワークショップのファシリテーションは、物語で言えば「起承転結」。

ここに持って行くぞと言う目標を掲げてワークショップを組み立て、
中だるみをさせず、先が見えるようにする事によって、
あまり経験の無い人でもやりやすいものです。

先ずはやりたいワークをして、次にその色々なパターンにトライ。
出来たワークを進化させ、皆でやった感のあるものとして終演に持って行く。
ここがファシリテーターの重要な所だと思います。
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ダンスシンポジウム終了しました。 - 2013.03.09 Sat

教文コミュニティダンス部のちひろです。

2月16日~17日、札幌市教育文化会館において、
二日間にわたってのダンスシンポジウムがひらかれました。

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世田谷パブリックシアター・函館市芸術ホールの事例紹介、
ほうほう堂の新鋪美佳さんによるワークショップも二日間にわたり、
最後のディスカッションまでとても充実の内容でした。

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今回は、このシンポジウムを通じていろいろと考えたこと、
明快なコタエが出ることばかりじゃないけれど、常に問いを忘れないように、
そして思考の過程を忘れないように、いくつか書き留めておこうと思います。

※なお、この内容は個人ブログに載せたものとほぼ同一内容です。



◎「コミュニティダンス」とは何か

これはずっと考えていることのひとつ。

「コミュニティダンス」というのはジャンルではなく形態のことで、
端的に言えば「コミュニティ」の「ダンス」。

この場合の「コミュニティ」とは、
「地域」あるいは「学校」や「施設」などすでに形成されたコミュニティであったり、
あるいはワークショップに集まったランダムな人々の集まりであってもいい。
ダンス経験も身体能力も問わない。性別も年齢も国籍も障がいの有無も問わない。
身体をとおして、ダンスという手法をとおして、その先のなにかを得ることが目的なのではないかと思う。

いろいろな身体が存在することを知り、他者を受容すること。
うまい・へた、できる・できない、ではない価値観を知ること。
努力と勇気が肯定され認められることで、自尊の気持ちを得ること。

ダンス経験のない人がダンスに触れ(それもテクニックや身体能力にかかわらず誰でも踊れる)
その後の生活の質が変わったり、身体への意識が強くなったり、表現する楽しさを知ったり出来る、
それがコミュニティダンスの醍醐味だと思う。

それと多分重要なのが、ディスカッション。
体験をシェアすること。
そして、それぞれの体験が踊りに反映されること。

これはリズ・ラーマンの手法であって、コミュニティダンスの絶対条件ではないのだろうけれど。

ダンスがコミュニケーションを生み、コミュニケーションがダンスを生む。
これが多分、カンパニーやスタジオという形態とのいちばんの違いではないかな、とおもう。

◎なぜ「コミュニティダンス」と呼称するのか。「コンテンポラリーダンス」と置き換えてもいいのではないか。

この投げかけが実はいちばんグッときた。
あたしも「コミュニティダンス」という呼称をうまく説明できないから。

手法としてコンテンポラリーダンスを選んでいるのだから、実はそこに差はないのかもしれない。
コミュニティダンスをコンテンポラリーダンスと置き換えたところで、内容は同じ、と言ってもいいと思う。

ただ私のイメージでは、
「コンテンポラリーダンス」というのは、あるダンスのジャンル(バレエとか)を飛び出して、
自由な表現に向かって行っている気がする。

つまり、身体の基礎はあるダンスメソッドによってつくられている、あるいは、つくる必要がある。

もちろん、一般向けのコンテンポラリーダンスのワークショップというのは多くあり、
私もコミュニティダンスの勉強のために、と思ってよく受講する。

こうしたワークショップは、ダンサーやカンパニーによるカラーの違いがあるだけで、
「初心者に向けた身体のワーク」という意味ではそれほど大きな変わりはない。

だから、対象をすべてのひと、とする場合においては、
「コミュニティダンス」であっても「コンテンポラリー」であっても、
呼称はどちらでもいいのかもしれない。

むしろ「コミュニティ」というほうが、閉じた感じがする、という意見もあった。

ただ、これが、いまの教文コミュニティダンス部のように継続的になった場合。

コンテンポラリーダンス部、では、どうも違うのだ。
これだと、ダンススキルを習得する、身体を訓練する、というなにかストイックな雰囲気を感じてしまう。

別に、向上心を持つことを否定しているわけではない。クリエーションに向かわない、という意味でもない。
クリエーションの過程は、むしろ必要だと感じる。

誰がどんな目的で来てもいい場所、自由でオープンな場所。
共通語はダンス、それぞれの身体である。
・・・うーん、なかなか答えが難しいです。

◎「ファシリテーター」とは何か。

「ファシリテーター」の意味を調べると、
「(ダンスに限らない)ワークショップを進行するひと」とある。

テクニックを教えるひと、先生や講師、というのとは違う。
演出家や振付家、という立場とも違う。

それぞれがその人らしく表現できる、肯定的な「場」をつくるというのが役割だろうか。

コミュニティダンスに限っていえば、
面白いことを発見し、ひとりひとりに魅了され、楽しめるひと、であればいいんじゃないか。

シンポジウムのなかで、ワークショップというのはクリエーションの過程であり、
ファシリテートの技術もその必要に応じてのもの。
だから、ファシリテーターになろう、としなくてもよいのではないか、という意見があった。

いま教文コミュニティダンス部では、3人のファシリテーターが交替でワークを行なっている。

教文の事業としての、教文コミュニティダンス部の目的のひとつにも「ファシリテーターの養成」とある。

私には、これについて、どう養成されたらいいのか?という疑問がずっとある。

ただ、経験を積めばいいのか?

決まったやり方があるわけではない、
ファシリテートのスキルというのはある程度あるかもしれないけれど、
ワークのスタイルは多様だし、
それはやはり、どういうクリエーションに向かうか、によって変わってくるものなのだろう。

クリエーション(必ずしも舞台での発表を意味しない)に向かわないとしたら、
「身体をつかったセラピー」あるいは「レクリエーション」に近くなる。

だがダンスがアートである以上、きっとそうではないのだ。
日常とアートを結びつけることが大事なのだ。

ワークをする機会があり、場が用意されている。それはとても恵まれたこと。

しかし同じファシリテーター、受ける側も固定化したコアメンバーという環境になってくると、
どうしても「カンパニー化」してくるような気がする。

だから、受講するメンバーが固定化するなら、
やってみたいことに応じていろいろなファシリテーターを招いたり、
あるいはメンバーのなかから生み出したりするべきでは?

また、いまは誰かひとりがワークをする、というのが基本的なカタチだが、
例えば3人というチームでのファシリテート、というスキルを磨いていってはどうか?

(私が過去に受講したワークショップのなかでは、「モノクロム・サーカス」や「セレノグラフィカ」の2人のチームワークは素晴らしかった)

同時に、ファシリテーターのチーム(あるいは個人)が外部へ出て行って、
新しいコミュニティと出会うことも必要だろう。

外からダンサーを招いて色々なワークを体験したり、誰かが新たにファシリテートにチャレンジしてみる。
そうやって風を通すことが、今後は必要になってくるんじゃないかな、と思った。


◎なぜワークショップが必要と思うか。

(教文コミュニティダンス部を)広げたい、という意見に対して、
なぜ広げたいと思うのか? という意見が出た。

なぜワークショップが必要か、体験してほしいと思うか。
その最初の衝動はなにか?

これは多分、それぞれちがう意見だと思う。

型にはまったダンスが嫌になっていた人、面白い人たちに出会いたいと思っていた人、
ダンスをとおしたふれあいを素晴らしいと感じた人、いろいろ。

私の超個人的な事情に限っていえば、
「子どもの頃のじぶんに伝えたい」ということ。

子どもの頃、体育が苦手で、そのことが苦痛だった。
それがどういうわけか大人になってダンスを始め、
初めて「あたし、身体を動かすことがきらいじゃなかったんだ」と気付いた。

球技や陸上はいまも苦手。
でも、純粋に身体を動かすことは体育の授業とは全然ちがう。
そのことをもっと早く気づけていたら、と思う。

でも、そうやって10年続けたジャズダンスも、
ある時期からだんだん「できないこと」のほうが多く感じるようになってきた。
幼い頃からトレーニングしてきた人の身体とは、厳然として身体能力の違いがある。

そんなときに出会ったリズ・ラーマンのダンスは、「できないこと」をなくしてくれた。

できなくていい、というのとは違う。
そのひとなりのアレンジをする、という方法。

肯定感にあふれてはいたけれど、実際かなりの努力を求められたし、アタマもカラダも全開だった。

発表公演の舞台上で感情の扉がバーンと開いて、すごくオープンになっていた。
それはお客さんにも伝わったと思う。

じぶんは出来ない、と思い込んでいる子どもや、そういう子どもだったおとなに伝えたい。
私のなかに最初にあったのは、そういう衝動。
身体をつかって表現するって、すごくいい。それだけ。
いまはほんとうにたくさんのひとに出会って、いっしょに考えている。

今までもモヤモヤと考えていて、でも答えにはなかなかたどり着かず常に問いのみがあります。
今でもクリアーな答えはない。
でも、そろそろ言語化する努力をしなくっちゃいけないな、と思いました。


私にとっては、いろいろな気づきを得られたシンポジウムでした。

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